バルセロナから約4時間半、アヴィニョン・サントル駅に到着です。
サントルっていうのはフランス語の中央駅のこと。英語で言うとセントラル、イタリア語だとチェントラーレ、ドイツ語だとハウプトバーンホフですね。
ちなみにアヴィニョンにはアヴィニョンTGVっていう、新横浜とか新大阪みたいに新幹線が停まる方の駅もあるので、お間違いのないように。
今日から4日間、アヴィニョンを拠点にしてプロヴァンスを堪能したいと思います。
アヴィニョンは駅を出たらすぐに旧市街
アヴィニョンの良いところはたくさんありますが、なんといっても駅を出て30秒で旧市街に入れるところは素晴らしいです。
どーんと駅前に城門が!
アヴィニョンの旧市街は周囲4.3キロメートルの城壁に囲まれて、そのこじんまりとしたサイズ感が心の緊張を緩めてくれます。
なんていったって、アヴィニョンの前にいた都市がバルセロナ!
何度もスリに要注意!と気持ちを引き締めていたので、ずっと緊張をしていたのかもしれませんね。
ローマ教皇庁ならぬアヴィニョン教皇庁がいたという知識は常識なの?
はい、知りませんでした。たぶん高校時代の世界史で習ったんだと思います。なんならラインマーカーを引いて定期試験の時は覚えていたかもしれません。
今回アヴィニョンに行くことになって、初めて?その事実を知り、「えー!そんな時代があったんだ」と新鮮に驚き、アヴィニョンに対する興味が俄然湧いてきたのです。
つまりアヴィニョンはかつて、バチカン的な機能を果たしていたということですよね。
しかしアヴィニョンに教皇庁が置かれるようになった経緯は、決して華々しいものではなかったようです。
ざっくりまとめると、
14世紀始め、王権強化を進めるフランス国王と教皇至上主義を唱えるローマ教皇ははげしく対立をしていました。そんな折フランス国王が教皇を批判したところ、ローマ教皇は怒って国王をカトリック教会から破門してしまったのです。
それに腹を立てたフランス国王がローマ教皇を誘拐し幽閉。教皇はその後助け出されたものの、心労と怒りで3週間後に死去してしまったのです。次期教皇も急死し、フランス国王はこれ幸いと、その次の教皇の戴冠式をフランスのリヨンで行い、その後無理やりアヴィニョンに移住させ、アヴィニョン教皇庁が誕生したということらしいのです。
アヴィニョンに教皇庁が置かれたのには、なんとも複雑な経緯があっようなのですが、おかげでこのプロヴァンスの田舎町だったアヴィニョンが、世界遺産を抱える観光拠点になっているということは、偽りのない事実ですね。
世界遺産の教皇宮殿を見に行く
アヴィニョンには1309年から1377年までの約70年間、ここアヴィニョン教皇宮殿に教皇庁が置かれていました。(正確には建築期間は除く)
建物自体はヨーロッパ中世のゴシック建築としては、最大級の大きさを誇るそうですが、正直中身はがらんとして、なんとも寂しい感じです。
実はフランス革命の時に、装飾品はことごとく破壊されてしまったそうなのです。
それを補うかのように、教皇庁内では現代アート展が開催されていて、各部屋にそこそこ大きいアート作品が展示されているのですが、やはりミスマッチは否めず、私たち観光客はどう楽しめば良いのかわからないカオスな空間になっていました。
ちなみに教皇庁内は撮影禁止です。
ところどころに残る壁画や飾り窓に、当時の栄華を偲ぶことができました。
次の写真は屋上からの景色です。教皇も見たであろうアヴィニョンの町並みは、革命で破壊されることなく、今も私たちを迎えてくれます。
あっ、でも1番のオススメはオーディオガイドです。教皇庁各部屋の解説に加えて、ここアヴィニョンに教皇庁が移ったいきさつや、教皇庁時代の街の様子などが詳しく解説されていました。
アヴィニョンは街歩きが楽しい
スタートから小難しい話が続きましたが、プロヴァンスの魅力はなんといっても街歩きの楽しさにあると思います。ここアヴィニョンもその例外ではありません。メインストリートを一本入ると、小さな路地が伸びていて、行き先を決めずにぶらぶら歩くのにぴったりです。
今日はアヴィニョン橋の夕景を写真に収めようと思うので、夕方までもう少し、のんびり歩くことにしましょう。
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